プロフィール

誕生から小学校時代は、転勤族の宿命で各地へ

鹿児島市、大分市、そして静岡市へ

鹿児島市の両親の間に生まれるも、父親の仕事により生後2週間で大分市へ。

したがって鹿児島弁の両親のもとで育ったことでヒアリングはできるけど、

鹿児島弁を喋ることができないという鹿児島出身者になりました。

そして大分で入園して間もなく、静岡市へ転勤。

母は弟を宿した大きなお腹で電車移動を余儀なくされました。

 

中心地の一軒家へ入居し、弟が産まれ、新しい幼稚園へ行くも、

ほどなく郊外の社宅のアパートへ引っ越し。

たった2年間の幼稚園時代にもかかわらず、3つの園を渡り歩いたのです!

田んぼの中に建つ小学校の校庭からは、きれいな富士山が見えました。

 

全校朝礼の時の校長先生の言葉、

「こんなに素晴らしい富士山を学校から見ることができる皆さんは幸せですよ。」

その言葉はあの素晴らしい景色と共に、今でも鮮明に思い出すことができます。

山口県小郡町、そして名古屋での洗礼

冬に薄氷が張るだけでも驚くほど暖かい静岡から、

雪の積もる山口県小郡町(現山口市)へ。

引っ越したのは小学校2年生の真冬のことでした。

 

今でこそ新幹線の駅がありますが、当時はびっくりするほど田んぼの広がる自然な町。

都会からの転校生は、最初ちょっと浮いた存在でしたが、すぐにみんなと仲良しに。

田んぼの蛙の合唱や、れんげ摘み、町内対抗の運動会(大人は宴会!?)など、

のびのびと育った小学校時代でした。

 

6年生の春、間もなく修学旅行~と、指折り数えていたある日、

突然父から告げられた転勤!!!

友達と涙涙の別れの後、1週間後には名古屋の小学校へ。

 

そこは分校だったので、修学旅行は秋に実施とのことで、おあずけに。

都会の女の子は背が高くてお姉さんな雰囲気。

都会の女の子は早口。

・・・そして名古屋弁は語尾がきつくてちょっと恐い。

 

1学期の間、何とか慣れてきたのに、夏休みに入ったとたん、

同じ市内へ移動することに!!!

社宅の関係で、仮住まいのマンションから社宅に移るという

なんと無慈悲な大人の事情でした。

 

クラスメートとお別れの挨拶をすることもなく、

6年生の2学期から新たな小学校へ。

ついに4校めの小学校で過ごすことに。

しかも、転校先の小学校は修学旅行が春に終わっているという

残酷な事実に、うなだれるばかり。

 

こうして私は修学旅行を体験できないまま、

映っている写真の少ない卒業アルバムを持って、

名古屋の小学校を卒業したのでした。

 

ただ、この幼少期の体験のおかげで鍛えられたことがひとつ!

どんな新しい環境へ行っても、初めての人と会っても

自然に溶け込むことができるようになったことです。

この対応ができるようになったことは、大きな私の財産です。

中学、高校、短大、OL時代までの静かな時代

中学校3年の時、両親が「子供の学校のために」と家を建てたので、

激動の転勤生活からは解放されました。

今にして思えば、転校する私も大変だったけど、

母もとてつもなく大変だったことがわかるようになりました。

引っ越しの準備に転校の手続き、自分自身の人間関係のリセット・・・。

考えてみれば、ほんとうにお疲れ様でした。

 

私も、よくぞ小学校の頃グレなかったなあと思うけど、

これが意外と「私は転勤族の娘だから」と運命を受け入れていたような気がします。

そのあと地元の中学、高校、短大、就職と、絵に描いたような自然な流れ。

とはいえ、私の胸の内は「ここにいる私は私じゃない!!」と青春期のグルグルに

悩まされていました。

 

なんせ、中学から推薦で女子校へ(女子校自体、私に合わなかったのに)。

そのまま持ち上がりで短大へ(別大学の放送部に通っていたので全く思い入れゼロ)。

親のコネで就職(アフター5から飲み会で元気になる典型的な5時からOL)。

と、まあ努力も目標もないまま、モヤモヤしたまま、輝くはずの青春時代を

のっぺらぼうに過ごしたのでした。

 

ただ短大時代、名古屋大学内サークルが母体の「中日本学生放送連盟(SBF)」に

入ったことが大きくその後の人生を変えました!!

ここで、番組作り、イベント企画、アナウンス、飲み会に出会って、

眠っていた私の「好奇心」が初めて大きく揺さぶられたのです。

25歳のトラバーユ ついに動き出す

20歳で就職した会社は損害保険会社の自動車課の業務。

自動車保険の申し込み証券をチェックするのが担当業務でした。

入って3日で後悔し、辞めたくなりました。

完璧に向いてない仕事だったのです!!

 

とはいえ、石の上にも3年。すぐに辞めるわけにはいかないと我慢し、

アフター5(死語)や花金(これも死語)に精を出す飲み会好きのOL時代。

ところがチヤホヤされるも数年で終焉。

若い新人さんが入ってきてあっという間に飲み会にも行きづらい状態に。

「25歳はXmasケーキ(死語です)」と言われる時代でした。

 

その24歳の夏、地元のTV局を退社して新進気鋭の制作会社を立ち上げた

ばかりの社長と出会い、運命は大きく転換!

周りが結婚退職する25歳の4月に

私はその会社にトラバーユ(=転職:懐かしい~)したのでした。

 

時は1986年。

この年の12月、世の中がバブル時代へと突入する時代の出来事です。

無我夢中で駆け抜けた仕事三昧の日々

25歳から39歳まで大好きな仕事仕事で過ごしました。

《前半》番組制作・イベント制作・飲み会も絶好調!!

少数精鋭の制作会社だったので、「何でもやります!」と業務は多岐に渡りました。

何でもやってみたい私にとって、次々と新しいジャンルにチャレンジできる環境は、

楽しくて面白くて時間を忘れて仕事するには最高でした!

改めて見つめなおすと、仕事14年の中で仕事の種類が大きく二つに分かれました。

《前半》は25歳から32歳までの番組制作やイベント制作時代です。

イケイケドンドンのバブルと呼ばれる時代が、

ちょうど25歳の終わり頃からから30歳になった頃までピッタリ当てはまります。

 

この頃はテレビ局との仕事が中心でした。

街ネタ情報を、名古屋にある各放送局に提供する仕事から始まり、

名古屋市の街の良さを紹介する5分のミニ番組のディレクター、

30分の旅番組では、最初の頃はデスクとしてスケジュール管理や

出演するタレントさんの出演交渉などを経てアシスタントディレクターに。

1ヶ月の半分以上は各地のロケで家にいませんでしたが充実の時間でした。

この時に、情報を集めて取材してカタチにするという

私の得意分野の基礎が作られていったのだと思います。

 

発注される大中小のイベントの制作の中でも様々な業務があり、

アシスタントプロデューサーとしてのスケジュールや予算の管理、

加えてディレクターとして運営などに携わりました。

その中でも特に1987年から3年間担当した『スターウィーク』という

長野県王滝村で行った名古屋市科学館とのコラボイベントの実施が

記憶に一番残る(大変なことも感動したことも)仕事です!

 

《前半》の最後、30歳前後には名古屋港水族館のオープンに合わせた

商業施設の開発に携わり、主に広報宣伝を担当しました。

とにかく、勢いで毎日過ごしていた記憶しかありません!

 

そして、こんなに忙しいけど毎晩のように飲んでいたような・・・。

名古屋の繁華街、栄で深夜2時にタクシーチケットを振り回しても

道路沿いにズラリと同じような人が等間隔で並び、

タクシーに乗るまで30分近く待つ・・・という伝説のような事態も

リアルで経験しました。

バブルの景気の良さを体感した時代です。

ただ、仕事が忙しすぎてあまり遊ぶ時間を享受できなかったのが残念!!

《後半》街おこしコンサルタントとしての営業と制作の日々

バブル時代も終わった32歳頃から、行政との仕事にシフトしていきました。

「街おこし」「まちづくり」という言葉が聞かれるようになり、

その街の良さを発掘しながら、地域の人も巻き込んで活性化を図るための

企画書を創りあげてプレゼンテーションしていくという仕事が中心になりました。

各自治体へ営業に回り、コンペに参加し、仕事を決めていきました。

ある時は100ページ近い企画書を作り、ある時はシンポジウムを開催し、

イベントを行ったり、会議を重ねた中から新商品開発(陶磁器業界)をしたり、

全て自分が窓口なので、金額交渉も含め、手応えは十分過ぎるほどでした。

 

今になって考えてみれば、この怒濤の仕事時代に財産となったのは

のべ1000人を超える人々の取材、インタビュー、ヒアリングの数々です。

職業も年齢も多岐にわたり、様々な考えを持つ人々から、

その都度の目的に合わせ、考えていることや過去の思い出、得意なこと、

提案したいことなど、それぞれの想いを聞き出していました。

この仕事の積み重ねのおかげで、その人や街(対象)の持っている良さを発見して、

言葉に表現していくという作業が、日常的に身についていったのだと思います。

楽しくて楽しくて やっと38歳で結婚 

・・・高齢出産を経て、子育てを通じ年下のママたちと楽しいランチ会を堪能。

FP2級の資格取得や、ワイン・日本酒に始まり、ガーデニング、陶磁器、現代アート、

映画・演劇・ミュージカル、旅行など、ワクワクすることが大好き!

義母の介護同居もスタートしました。

・・・近日中に明らかに!! お楽しみに・・・

58歳 ふたたび動き出す

現在CBCテレビが運営する東海エリアに密着した女性向け総合サイト

『CUCURU(ククル)』のライターとしてアンテナを立てています。

・・・近日中に明らかに!! お楽しみに・・・