楽嫁介護シリーズ

楽する嫁の介護日記(5)一人暮らしは要注意!3つの認知症の兆し

コーチングプレイス認定コーチ&認知症介護15年目のじゅんこです。

親が認知症かもと認めるのは勇気がいることです。特に近所に住むお姑さんの場合は!

おかしいなと思うきっかけは、最初は小さなことがポツポツと現れ、
やがていくつも積み重なって、ある日決定的なことが起こってしまいます。

さっちゃんがいつもと違うと気がついたのは、
息子である夫ではなく嫁である私でした。

身近な人ほど日常のちょっとした変化に気がつかないものです。

どのような言動や行動から認知症の兆しを発見できたのか、
お話していきます。

一人暮らしは要注意!3つの認知症の兆し

さっちゃんの家(夫の実家)は、伊勢湾台風の時、膝の高さまで水につかったという
木造の一軒家です。

建物は確かに古いのですが、毎朝さっちゃんが玄関や廊下をピカピカに磨き上げて
いるので、手入れの行き届いた気持ちのいい家でした。

いつも額に玉のような汗を浮かべながら力いっぱいゴシゴシと拭いていたさっちゃん

一度、「いつもピカピカの床ですね。」と言ったら、
「おばあさんに、何を言われるかわからんからね~」と笑って答えていました。

そう、さっちゃんは夫亡き後も、当時90歳近かった大姑さんと同居していたのです。

大姑のおばあさんは、90歳で歯が全部残っていることで
名古屋市から表彰を受けたくらい健康で元気!

お喋りも達者で、足腰もしっかりしていたので、介護の必要はなかったのですが、
嫁に来てからの長年の同居は、さすがに大変だっただろうと思います。

 

ちょうど私が息子を産む直前のことです。

さっちゃんとおばあさんの二人きりの同居はしんどいだろうということで、
おばあさんは実の子ども達のところへ(夫の叔父叔母)、引っ越していきました。

さっちゃんは72歳にして一人暮らしになりました。

嫁に来てからずっと多くの家族の世話をしてきたのに、一人になってしまいました。

夫や私は「これで晴れて自由の身になって良かったね。」と喜んでいましたが、
今から思えば
さっちゃんにとって張り合いのない毎日が始まってしまったのかもしれません。

あんなにきれい好きだったのに!!

さっちゃんの家から徒歩5分のマンションが、私たち長男夫婦の住まいでした。

私は出産後、段取り通り進まない育児に余裕がない毎日を過ごし、へとへとに。

そんな私にさっちゃんは、「お守りしてあげるから出かけておいで。」と
言葉をかけてくれました。

私はすっかり甘えて、息子とほ乳瓶を預け、
つかの間の自由時間を楽しむことが、何度かありました。

お鍋いっぱいのおでんを作って、わざわざマンションまで持ってきてくれたことも。

そうそう、出産前は二人で近くの美味しいお寿司屋さんに行ったこともありました。

いつも動いていて、元気で、よく笑って、明るいさっちゃんだったのです。

 

ところが息子が2歳になる4月あたりから、
家に行くたびに「あれ?」と思うことが増えてきました。

ピカピカだった床は、掃除をした気配がなくなっていました。

仏壇のある居間には、頂きものの箱や、使ったものがそのまま置いてあり、
畳のスペースがじわじわ浸食されています。

食卓の上も、ものがあふれかえって食事のスペースもないくらいでした。

やがて、布団が敷きっぱなしになっていきました。

「きっと一人暮らしになって、気ままに過ごしているのだろう。
今まで大変だったから、神経を使わずにゆっくりしたいよね。」

夫とはそんな会話を繰り返して、ゆるやかに半年が過ぎていったのです。

この時さっちゃんは74歳。一人暮らしを始めて2年たった頃でした。

お料理をしなくなっちゃった

いつも台所に立っているイメージが強かったさっちゃん

お正月になると、集まってくる大人数の親戚のために、たくさんのご馳走を作って
座る暇もなく、喋ったり用意をしたりと、賑やかな時間を過ごしていました。

茶碗蒸しは、蒸して出してはまた蒸してと、台所はいつも湯気でいっぱい。

さっちゃんと料理はイコールで結ばれるくらい、強いイメージがあったのです。

おばあさんが引っ越して2度目のお正月。
親戚を呼ぶことはなくなって、さっちゃんの二人の息子家族だけの宴の日でした。

私たちはいつものように家の玄関を開けました。

静まりかえった家の中。

冷え切った空気。

「え!何???」

慌てて部屋に入ると、さっちゃんは布団の中で寝ていました。

「具合悪いの?」

「・・・今日はなに?」

「お正月だよ。」

「・・・。」

熱はなく、風邪をひいたようでもなく、どこか痛いわけでもないようです。

お正月を忘れたわけではなく、
お料理をする気力がなくなってしまったように見えました。

あまりの出来事に、私と夫はただただ呆然とするばかり。

この日から、さっちゃんはほとんど食事を作らなくなってしまったのです。

決定的な忘れ物!

衝撃のお正月が過ぎて、心配はしたものの、日常生活が戻ってきました。

普段の会話は変わりなく、さっちゃんはいつもの笑顔です。

食事に対する意欲は下がっているようですが、
近くのスーパーでお総菜などを買ってきているようでした。

ただ、約束を忘れることが何度かありました。

時間になって迎えに行くと「何だったっけ?」という会話が数回。

「年だからそんなこともあるよね。」と言いながらも、
何となく胸の奥がざわついたことを思い出します。

 

そんなある日、夫のところに銀行から電話がかかってきました。

さっちゃんが、馴染みの銀行のATMの足下に通帳や現金の入った手提げ袋を
忘れているという連絡でした!

慌てて受け取りに行った夫が、さっちゃんを問い詰めると
銀行で貯金通帳一式を忘れたことを全く覚えていませんでした。

これは、おかしい!

単なる物忘れじゃない!

掃除をしなくなったこと。

食事を作らなくなったこと。

貯金通帳一式を置き忘れたこと。

時々、布団の中で過ごしてること。

これはただ事ではないと、やっと気がつきました。

この時さっちゃんは75歳。一人暮らしを始めて3年がたってました。

最初に疑ったのは鬱病でした

最初は鬱病ではないかと考えました。

意欲がなくなって、日中でも布団で過ごすことが増えるのは、
一人暮らしになって張り合いがなくなったからではないかと思ったのです。

この段階では、まだ実感として「認知症」というところまで考えが及ばなかったのですが、
このままではいけないという思いは日に日に強くなっていきました。

夫は仕事が忙しく、心配はすれども具体的に動ける状態ではなかったので、
私がインターネットでどの病院へ行けばいいか検索を始めました。

息子は3歳になり、動き回って手もかかります。

この時初めて、「高齢出産は高齢の親の介護と同時進行」というコトバが
現実のものとして目の前に現れたのでした。

「楽する嫁」になるのはまだ先のこと。
「不安いっぱいの嫁」がスタートしたばかり。

このように「72歳からの一人暮らし」をきっかけに、じわじわと時間をかけて
「家の片付け」「食事のしたく」「忘れ物」などの日常生活が変化していき、
認知症の兆しが見えてきたのです。

 

《2002年3月~2005年5月の出来事:
私41歳~44歳・息子0歳~3歳・さっちゃん72歳~75歳/介護0年目》